バー

Nadja
ナジャ

オーナーソムリエ
米沢  伸介

Guide

リストランテ ダ ルーポ322
オーナーシェフ
森 良之

西宮市産所町3丁目の22番に位置する、その店名(イタリア語でルーポ=狼)と隠れ家のような立地から狼の巣によく例えられるレストランのオーナーシェフ。風貌や言動と真逆をいく精緻な料理を評して狼の毛皮を着ているだけの繊細な気配り上手の人間だといわれることもあるが、結局のところ最後は人間の毛皮をはぎ取り狼に変わる・・・と思っていると更にその狼の毛皮もはぎ取り・・・という具合に付き合えば付き合うほど味のある人物像に惹かれて通い続ける客も多い。

写真:森 良之

 阪急神戸線塚口駅から、さらに歩いて約10分。およそ商業地域とも閑静な住宅街ともいえない、街から少し忘れられたような場所に、19時を少し過ぎたころ ひっそりと灯りがともるワインバ ーがある。そのワインバー 《ナジャ》のオーナーソムリエ、米沢伸介氏が店を開いたのは1997年、赤ワインの爆発的人気により一大ワインブームを呼んだ1998年の前夜の年のことだった。

 店内に入ると、セラーに入りきらないのであろう一体何本あるのか分からないワインのケースの山がフロアのほとんどを覆い尽くしている。そして他にも何十枚も積み重なったCDやレコード、張り紙やポスター、雑貨や書物にいたるまで、モノというモノが雑然ぎりぎりの絶妙な調律(米沢氏ならではの)で溢れかえり、それは氏がこの地で店を構えてから積み重ねてきた時間そのものであるとともに、氏の頭の中を覗く手がかりにもなっている。

 今回はそのナジャの顧客の中から西宮市のイタリアンレストラン「リストランテ ダ ルーポ 322」のオーナーシェフ 森 良之氏に登場していただいて、ナジャや米沢氏との関わりについて聞いてみた。

筆者「森氏がナジャに初めて来店したのはいつ頃ですか」

森氏「今僕は43歳なんで16年前の27歳の時、当時 西宮市門戸厄神にあったリストランテ ペペで働いていた時代です。オーナーシェフの平井利夫に連れてきてもらったのが最初でした。いわゆる社長のおごりっていうやつです。その頃のナジャは平井シェフや夜遊びのスペシャリストのような《砂時計》の中島シェフなど阪神エリアのちょっとワルくて怖い大人たちが夜な夜な溜まるワインバーという感じで、連れてってもらうにしても、楽しいながらに独特の緊張感があった」

筆者「最初はそんなワルくて怖い大人たちと同世代である米沢氏に対しても畏敬の念を感じていたのでは?笑」

森氏「もちろん最初は怖かったし、実際あのころ米沢さんって怖かったですよね(笑)。今の時代では無理だけど僕らはシェフ達からすると、いじめていい最後の世代だったと思うから、上の人と行く呑みの場といっても基本説教を受ける場だった。でも、それをどれだけ耐えれるかで、その後自分がブラッシュアップできるかもわかっていた。今はいじめたら直ぐ辞めちゃいますから」

生業と社会性

 そうして若かりし森氏がそのころに見た「大人の社交場」で大人たちの遊び方やナジャの格好良さにハマり、ワインを求めて自分で通い出すのにそう時間はかからなかった。

 森氏だけに関わらず、ほんの十数年前までは、確かに背伸びしてでも「そこに通う自分」から「そこに似合う自分」を、いつか作り上げようとする方法論としての店の使い方が存在したように思える。かっこいい大人になるための学校としての店の使い方。 しかし自分の流儀を貫く店主がいるレストランやバーに説教覚悟で大人の洒落や文化を学びに行こうとする人々はここ十数年間の間で格段に減ったのではないだろうか。

筆者「ちょうど一世代ほど違う業界の後輩でもある森氏のことを米沢氏は逆にどう見ていましたか?」

米沢氏「僕が‘60年代で彼らは‘70年代だから最初は10年間の世代差って感じるけど、20年近く付き合ってるとそのぐらいの世代差なんてどんどん縮まってくるからね。特に数年前、お互いが昔聞いていた音楽という共通項を見つけてからはグッと縮まった。

それと少し別の話になるけど、音楽という共通項を知る前から彼の店(ダ ルーポ 322)には何度も食べに行ってたんだけど、彼の音楽的なバックボーンを知ると、もっとパンキッシュでアブノーマルな料理もやってみれば?って、話したことがある(笑)店では凄く繊細で精緻な料理を作るからね。でも分かることは、若い時にムチャなライフスタイルを送っていた一人の男が、じゃあ生業(なりわい)はどうするのかという自身への問いにコックという社会性を見つけたんだなって。」

森氏 「ぎりぎりの社会性なんですけど.....笑」

米沢氏「そこにも実は共通性があると思う。僕もワインで助かった部分がある。ワインを生業に昇華することができて社会性を得たわけ」

音楽だけに限ることではなく、例えばスポーツにしても芸術にしても文学にしても若い頃にのめり込んでしまったことにハマればハマるほど、若者が資本主義社会との接点を見失っていくことはままあることだ。のめり込んでしまったものを職業にしたくともマイナーなジャンルにハマってしまえばそれを生業に変えていくことは至難の技だということに、若さの終焉が気付かせてくれる。

だからこそ、料理やワインという、やっと見つけた自分が再びのめり込める社会との「接点」に対しては、「真摯に向き合い、集中したい」と願ったのが両氏の修行中や自店を立ち上げての数年間だったのだろう。そして迷路で彷徨い、時間を失った過去の自身への自戒と隠蔽こそがその数年間の反発エネルギーの原点に見えてくる。好きなものを我慢してでも得たいものが、そこにはあった。

森氏「だからナジャに通いだしてから、やがて自分自身の店も立ち上げて、それから米沢さんと音楽の話をするまで、結構時間がありましたよ。ほんの6、7年前の話です。最初通っていた頃はナジャもジャズやブラジル音楽などがかかっている正統派のワインバーのイメージでしたし。それがある日、店に置いてあったレコードアルバムの箱の中から見つけた、あるマニアックな一枚に自分との共通項を突然見つけて....そのへんからです」

米沢氏「店のBGMも最初のころはオーセンティックなワインバーのように客の会話に自然に馴染むような音楽を意識していたしね。それに自分の店に来るお客さんにしても外で会う同業者にしてもお互いの趣味まで話がいくことって実は滅多にないから。でも森くんと僕のように、人と人が自然と偶然集まって惹かれ合うのは、"人間の匂い"というものを互いに嗅ぎ分けていたからなんだと思う」

森氏「よくよく後で考えたら、結局みんな音で繋がってた、みたいな」

 ヨーロッパのサロン、カフェ文化を引き合いに出すまでもなく、そもそも飲食店というものが思想や文化、階層を同じくする人々を引き寄せる場所であるのは間違いない。店の数も情報も圧倒的に増えた昨今、自分自身の嗜好に合致する店を選択するのは比較的容易いだろう。 しかし口コミサイトや様々なSNSが普及した今の時代の店選びはそこに行った自分や批評をアピールするためのツールにしか過ぎない場合もある。森氏のように店主の匂いや、店の香りを嗅ぎつけながら、通い続けてしか知りえないその店の本当の楽しさを見逃しているときもあるのではないだろうか。

 そんな今の世の中を森氏はこう表現する。

森氏「本当はナジャみたいに何十年後かに伝説になっていてもおかしくない店って他にもいっぱいあると思うんです。でも今は店が提供している本質的なものを見ようともせずに、ポケモンの モンスター集めのような感覚で店を廻っている人が多すぎると思う」

「こういう人になりたい」

筆者「結局何故森さんはそこまでナジャに魅せられたんでしょうか?」

森氏「僕は今は気がつくとお行儀の良いレストランなんかやっちゃってますけど、昔、自分は本当はナジャみたいな料理や店をやりたかったのに、と思うときがある。米沢さんの仕事のスタイルにも憧れますし。いや、結局、もしかしたら、実はそれ以上で 《こういう人になりたいな》と思ってるのかもしれない。」

 客が店主に憧れ、通い続ける。

 そんなまだ青春の気持ちのままなのだろう、未完成な大人たちが夜な夜な集まるカウンター。。。ナジャにはそんなワインや音楽を巡る群像劇のような光景が繰り広げられているかもしれない。そんな妄想をしている自分も、米沢氏がゆっくりと熟成させたこの店の空間の香りにはまったのかもしれないし、ナジャの本質はそこにあるのかもしれない。

PHOTO by Teruo Ukita   TEXT by Masaaki Fujita

Nadja

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TEL:06-6422-3257
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